上の娘が3年生になった。小学校に上がった時は、小さい体に重いランドセルを背負って歩いて行く姿が痛々しいようだったが、ずいぶん頼もしくなった。 僕は、今の娘と同じ3年生(1978年)の2学期から6年生まで、親の仕事の関係でベルギーに住んでいた。当時ブリュッセルには全日制の日本人学校がなく、土曜日に、算数と国語だけを教える補習校というものがあるだけだった。多くの駐在員の子供たちがインターナショナルスクールやブリティッシュスクールに通う中、両親は僕を現地の公立小学校に入れた。カタコトも話せないまま、フランス語の学校に通うことになったのだ。...
「人は人、自分は自分、そして仲良く」 会社員時代の先輩が教えてくれた言葉です。そういう風に生きたいと思っているので、他人の言動はそれほど気にならないのですが、稀に「どうなんだろう?」と思うことはあります。 僕がちょっと違うと思うのは、「小規模多品目直販農業は現実的でない」という意見です。だから、趣味としてやれ、とか、公的に支えるしかない、などの言葉が続きます。...
「金なんて後からついてくる。好きなことを貫けばいい」 28歳の僕はそう信じて、農業の世界に飛び込みました。 しかし、現実はそう甘くはありませんでした。 まず何より大事なのは、自分の足でしっかり立てること。倚りかからないと生きていけないようでは、自由を貫くことはできません。...
僕は、青年就農給付金制度そのものに反対の立場です。農業で成功できる人の多くはこの制度がなくてもやれるであろう一方、成功できない人は補助金があろうとなかろうと無理だからです。すなわち給付金制度は「青年の就農意欲の喚起と就農後の定着を図る」という政策目的に照らして、効率のいいやり方ではありません。 とりわけ、農業後継者に対しての支給は、無駄金になる可能性が高い。以下にその理由を述べます。...
「迷ったときに進むべき方向を指し示す会社のコンパスが欲しい」とフシミに詰め寄られ、一晩考えてしまいました。このセリフで言われたわけではありませんが、僕なりに解釈するとそういうことです。確かに、僕たちが日頃から考え続けている「丁寧なものづくり」や「食べてくれる人への奉仕」や「業務の効率化」は、いかに(how)前へ進むか、であって、なぜ(why)進むのか、どこへ向かっていくのか、の問いに答える物ではありません。...