やはり、素人で行こう。
ウチはどこまでいっても素人集団です。
もともと僕自身が、特に器用でもイマジネーションが豊かなわけでもないので、上手な職人の技を盗んで自分のものにするということが苦手です。人の背中を見て体で覚えるということができないので、いろいろな人から教わったことを自分なりに咀嚼し、細かい要素に分解し、言葉にすることで、野菜づくりを覚えていったという面があります。この手法はある程度までは有効ですし、一度言葉にしたことは他人に伝えやすいので、その後スタッフを雇用するようになった時に大いに力を発揮しました。今のチームは、一度僕のフィルターを通した農業技術をベースに畑を見ているのだと思います。
一方で、最初の僕の咀嚼が甘かった部分、言葉に落とし切れなかったり誤読した部分は、抜け落ちたままでチームに共有されています。彼らが教わったのは、僕が見た「背中」よりも分かりやすい分、角が取れて丸まってしまっているのです。それだと、分かりやすくはあるけれども、僕自身が参照したものよりも狭く浅いものを参照元にして物事を組み立ててしまうケースも出てきます。
農業に限らず、職人が技術を教える場合、図面だけを使うわけではありません。その場には、今まさにできつつあるモノがあり、見習い工はこれを眼で追い、親方の言葉に耳を傾けることで、図面には収まらない何かを得られるわけです。そういう豊かな学びの場を、今のウチは提供できていないという反省が自分にあります。
ゆとり教育の時代に、円周率をざくっと3にしようとした話と同じで、本来は割り切れない数を割りきれる形に単純化してしまうことで失うものもあります。もちろん、右も左も分からない人に、「円周は直径の約3倍なんだ」ということを知ってもらうのはとても意味のあることで、そこを経なければ次のステップにはいけません。この例で言えば、ウチはようやく小数点以下が問題になるレベルに達したと考えています。
言語化を経ることなく技を習得し、人に伝えられれば、この悩みは不要なのかもしれません。皮肉ですが、僕は背中から盗むことが出来ない素人だったからこそ、次の素人に伝えられるものがあるのだ、と思うようになりました。そして、それは面倒だけれども面白い仕事です。
やはり、素人で行こう。
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