名古屋大「リスク社会論」学生の質問への回答
Q チェーン展開は考えているか? 事業は拡大したいか?
A 小さくて強いモデルは単体でスケールアップは難しいと思っています。一方で、FC展開のようなもののネックになるのは営業面です。すなわち、今のような「人」で売る方向性は属人的で仕組み化しにくい。一緒に考えてくれる人を探しています。
僕自身は経営的な野心がないので、大きくすることに強い興味は持っていません。それよりも久松農園が果たせる機能は何か、を考えています。ひとつは人材育成です。人を育てられる人を育てる。当面の目標はそれです。
Q トマトやキャベツを生で食べている国は日本ぐらいなものなのですか?
A 食べる国はあるようですが、日本は生食の比率が突出している、という意味です。
Q ブランド化には一定のマーケットボリュームが必要なのではないか?
A 僕たちがやっているのはマスに対するブランド化ではないと思います。むしろ徹底した市場細分化で、他の人には「何がいいのかよく分からない」というのが、『小さくて強い』ということではないかと。
Q 自分は安い野菜を買う人間である。そのような人へのアプローチはどう考えるか?
A あなたのような顧客がたくさんいれば、その希望に応える生産者・流通が世界中から野菜を届けてくれることでしょう。
私たちはそれが最も苦手なので、得意な人たちに道を譲ります。
Q 脱サラしようと思った一番の要因は何か?
A 何でも自分で決められる仕事をしたかった。前職の仕事はとても面白かったのですが、会社員として花開くまで待てなかったということです。詳しくは『小さくて強い農業をつくる』(晶文社)をお読み下さい。
Q どういう人をターゲットにしているのか?
A マーケティングをしているわけではないので、明確なターゲットはありません。有機、生産者直販、便利、旬、など複数のフックに結果的に引っかかる人が買ってくれているのだと思います。確実に言えるのは、僕たちを嫌いな人はまず買わないだろうということ。モノに加えて、広い意味でのファンが支えてくれているのだと思います。そこが消去法で支持されることを狙うマスビジネスとの違いではないでしょうか。
Q 持たざる家庭で育った子供は味覚の分からない大人になるのではないか?味覚音痴の再生産が起きるのでは?
A それはあると思います。所得だけとの相関ではありません。子供は小さいときにいろいろな味の物を口にした方がいいと思っています。食べ物に限らず、子供は見て、聞いて、触って、匂いをかいで、舐めて世界を知るからです。親が食に興味がない家では、体験の幅が狭くなります。岩村暢子さんの『普通の家族がいちばん怖い』などで明らかなように、家庭の食卓ではものすごい事が起きています。
一方で、人は食だけで生きているのではないのだから、それが即不幸かというとそうも言い切れないとも思います。「『アモーレ、マンジャーレ、カンターレ』には個人差がある」と言っているのですが、食には興味がないけど色を好む人とか、食べもしなければ恋もしないけど、文学にはものすごく豊かな感性を持つ人もいます。昔と比べて人が本質的に変わったのではなく、現代は偏りを助長するツールが多く、偏りが大きくても生きていけるインフラが充実しているのだと思います。
Q 豊田市周辺の調査では、小規模の農家が多く、農業が土日の趣味的になっている。それをどう思うか?
A 農地解放が行われた頃、労働生産性はとても低く、自作農・小農主義の中で農民のモチベーションを上げることが全体の生産性の向上に一定の役割を果たしました。農業が機械化した現代では状況が全く違います。そのような趣味的な農家がいること自体は善でも悪でもありませんが、農業生産に貢献していないそれらの農家が様々な優遇措置を受け続けていることは、社会政策上不合理だと思います。
時代は、人びとの意識や習慣よりも早く変化することがあります。今はそんな時代です。「守旧」とか「改革」とかいう思想闘争に陥らず、淡々と変化していく必要があります。
Q 味を追求するのであれば、化学肥料も使った方がいいのでは?
A そうかもしれません。それはただのこだわりの部分で、合理的な説明はできません。イチローに「毎日カレーじゃなくてもいいのでは?」と聞いても無駄なのと同じだと思って下さい。
Q 農協から圧力はあったか?
A 別にありません。茨城はもともと農協以外の販売ルートも多く、農家はよく言えば自由、悪く言えばバラバラな地域です。
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