鎌倉野菜から考える
よく分かってもいないくせにえらそうに書きます。鎌倉野菜について。
鎌倉野菜と言われる物は、僕が見る限り、品種とか栽培方法とかに付けられた呼び名ではなく「鎌倉という見せ方」です。いわゆる”伝統品種”もあるし、割と新しい流行のカラフル野菜もあって、誤解を恐れず言えば定義のないものだろう、と。栽培方法を間違ったイタリア野菜もあったりするらしく(笑)、そこがまたいいんじゃないですかね。
強いて言うなら、買い手と近く、コミュニケーションを取りながらつくる野菜たち。この”たち”が重要で、野菜も農家も個別にではなくまとまりとしての価値だろう、と。で、その感じ全体が料理人を打つのだろうと思います。築地に魚を仕入れに行くような、ライブ感。ハンティング感。会話のある買い物。その出口があるから、栽培もニーズに合ったものになる。「ちゃんとした野菜」なんです。
農業に限らず、作り手は”機能性”こそが価値だと勘違いしやすいんです。「どこがどういいの?」に答えなきゃと思って「有機栽培で、伝統品種で、こだわりの肥料が。。。」って始まっちゃいますが、それは買い手・食べ手が”感じる”野菜の価値の中のごくごく一部を言葉で語っているに過ぎないと思うんです。
よく、大衆車と高級車の営業マンはタイプが違うと言われます。大衆車を上手に売るのは、その車の機能性・コストパフォーマンスの高さを上手に説明できる人で、一方高級車を上手に売るのは、その車に乗る充実感・ステータスを伝えられる人だと。この例で言うと、エンジニアは高級車の営業には出ない方がいいですよね、たぶん(笑)。
最近講演でよく言っている事ですが、
モノ(contents)× 文脈(Context)=価値(Value)
なんですね。(注 +で言ってたけど×が正しいですね!)
「自然農法」も「固定種が大事!」も「いばらきの野菜」も全部作り手の都合での文脈なんですよね。だから×1になっちゃう。
鎌倉野菜を取り上げて、「そんな品種俺もやってるよ!」っていう人は文脈が×1、もしかしたら0.5くらいですね(笑)。
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