「センス」とは「ひな形化」なのかもしれない①
23:32 26 2月
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農業のような現場仕事、手仕事の分野では「仕事が出来る人」「手が速い人」というレッテル張りが盛んに行われます。確かに、どんくさい人って周りにはすぐ分かるし、そこれ切り分けたくなる気持ちも分かる。一方で、仕事が出来ない・手が遅い側の代表選手である僕は、それが何を意味するのかを、ずーっと考えていたりします。
僕はいろいろな職種の人と付き合いがあり、その道の話を聞くのが楽しみな人間ですが、職種横断的に感じることの一つは、結局世の「仕事」のかなりの部分は面倒な「やっつけ仕事」なんだな、ということです。そのやっつけ仕事を誰がやるか、が「生産性」の大半であったりするわけで、その仕組みを考えることだけを仕事にしている人が世の中にはたくさんいるわけです。
で、ここからが本題なのですが、先の「手が速い人」というのは、仕事のひな形化(テンプレート化)に長けた人ではないか、という仮説を持っています。「手」が速いっていうよりも、ポイントを見抜くのが速い人なんじゃないのか、と。すなわち、ざっくり「センス」とくくられているものの大半は、トヨタが技術士と呼んでいる、問題の根本を見抜いて、その解決に必要な手順をひな形に落とし込む能力のことではないのか、と思ったりしています。多くの場合、そのひな形を他人に共有できるまで言葉にできない人が多いので、「自分の体を動かすプログラム言語」にまでしか言語化できない。だから、センスのある人、で終わってしまう。
という仮説をなんとなく感じているので、この項続きます。
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