patronage
独立するとは何か、という対談記事が出ると同時に、芸術系の学生に、好きなことでメシを食うことについて話す機会があって、少し思うところがあった。
僕はワガママなので、何か決断する時に、「お世話になっているあの人を考慮しなくては」とか、「あの人達を利する判断をしよう」という邪念が入ることがとてもイヤだ。そういう「配慮の匂い」は僕には腐臭にしか思えず、それが習慣になったらもう何かを創り出す人間としては終わりだな、と思っている。だから人に金を出してもらうのが苦手で、自前で稼いだ金だけで生きていきたいとつい思ってしまう。自由に使える金があれば、やれることはいろいろあるのに。
スタジオジブリの鈴木敏夫の本に、徳間書店の故徳間康快元社長の、『カネならいくらでもあるぞ、銀行に』というセリフが繰り返し出てくる。かっこいいな、と思うと同時に、こういう大物にはなれないなぁ、とちょっとヘコむ。
僕はやたらと人から応援してもらえる人生だ。それは、自分が美しいと思うものをみんなも美しいと思っていることの表れで、素直に嬉しい。一方で、その美しさを世に広めるために俺にガンガン投資しろ、と言い切れる度胸もなく、冒頭で述べた「自分のことは自分で決めたい」というワガママも相俟って、金を出してもらうことに抵抗を感じてしまう。パトロンを見つけるのが上手な人を見ると、あの人切れ味が鈍らねーかな、とドキドキすると同時に、それだけ素敵な夢を持っているのだろうと羨ましく思う気持ちも少し沸く。
「パトロン」というとなんとなくタニマチな語感があるが、フランス語のpatronというのはBossくらいの軽い意味で使われることが多く、上手に利用してやれくらいのノリにも取れる。
僕は今やりたいことがいくつかあって、それをどうしても一緒にやりたい人がいる。元気に働けるのもあと10年くらいだと思うと、四の五の言ってないでそれができる形をつくらないとな、と思ったりもする。
冬もいろいろ考えるが、日が長くてもそれはそれで思いはめぐる。
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