曲げたわめられる弓
茨城県の旧里美村で農業を営む友人、布施夫妻の木の里農園が満を持してスタッフを雇用します。記事はこちらより。友人として、同志として、その挑戦に注目していきたいと思っています。
5年ほど前、県内の新規就農者の集まりで、ウチでスタッフを常時雇用する話をしていた時、布施さんが、「ここにいる人はみんないずれ雇用をしていくと思うんだよ」と言ったのに対して、しらっとした空気が流れたのを覚えています。ほとんどのメンバーはそうは思っていなかったのでしょう。僕は、自分に人を育てる力がないことを日々思い知らされていますが、布施さんは違います。きっといい農業者が育っていくことでしょう。
下に紹介するのは、レバノン出身の詩人カリール・ジブラン(ハリール・ジブラーン)の「子について」という詩です。若い頃は、親を戒める詩だと思っていましたが、今では、親への励ましの詩であることが分かります。
ボロクソの弓でも、射ってくれようという人がいるのだから、せめて素直にたわめられようとは思うようになりました。
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ハリール・ジブラーン「子について」 神谷美恵子訳
あなたの子は、あなたの子ではなく、 大いなる生命の希求の息子であり娘である。
あなたを経て現れてきても、あなたから生まれたのではない。
あなたと共にいても、あなたに属するものではない。
あなたの愛を与えることはできても、 あなたの考えを与えることはできない。
子どもは自らの考えを持つのだから。
その身体を住まわすことはあっても、その魂までも住まわすことはできない。
子どもの魂は、あなたが夢にも訪れることのできない、明日の館に住んでいるのだから。
子どもらのようになろうと努めるのはいいとしても、 子どもらをあなたのようにしようとしてはならない。
生は、後ろに歩まず、昨日を待つことはないのだから。
あなたは弓であり、あなたの子は、 その弓から生きた矢として放たれるものである。
この弓を射る大いなる人は、無限の道の上にある標的を見、
大いなる力であなたを曲げたわめ、その矢を速く遠く行かせようとする。
この弓射る人の手で、 あなたが曲げたわめられることを、喜びとせよ。
何故なら、大いなる弓射る人は、飛ぶ矢を愛するごとく、
落ち着いたゆるぎない弓をも愛するのだから。
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訳によって印象が違うので、ついでに原文を。
On Children
by Kahlil Gibran
Your children are not your children.
They are the sons and daughters of Life’s longing for itself.
They come through you but not from you,
And though they are with you yet they belong not to you.
You may give them your love but not your thoughts,
For they have their own thoughts.
You may house their bodies but not their souls,
For their souls dwell in the house of tomorrow,
which you cannot visit, not even in your dreams.
You may strive to be like them,
but seek not to make them like you.
For life goes not backward nor tarries with yesterday.
You are the bows from which your children
as living arrows are sent forth.
The archer sees the mark upon the path of the infinite,
and He bends you with His might
that His arrows may go swift and far.
Let your bending in the archer’s hand be for gladness;
For even as He loves the arrow that flies,
so He loves also the bow that is stable.
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