田舎にでも帰って。。。
東京に行く機会が増えてつくづく感じるのは、自分は都会に住むのは難しいな、ということだ。若い頃には憧れたこともあったが、都会というのは「そこで何かをしなければならない人」の便宜が優先される場であって、暮らしやすいところではない。ポジティブに言えば、何かをするため、に都会へ出て行く人々の思いの集合が都市の活気なのだろう。高度成長期を支えたのは、年間60万人以上もの地方から大都市への人口移動である。
では一方、地方が暮らしやすい場所かというと、最近は事情が変わってきている。製造業の不振、公共事業の縮小などによる雇用の減少で、人々が地方で普通に食っていくことが困難になっている。幸せに暮らしていけるのは、地元での人脈があり、かつ、親から受け継ぐ家や土地がある人である。そこから漏れる人たちは、都会に出て行く以外に生きる術がない。何かを成し遂げるために都会に打って出る、というより、都市部に出る以外の選択肢がない、と言えるだろう。その結果、地方には若者がいない。人気のない工場などには全く人が集まらない。これは全国どこに行っても聞く話だ。一方で、都会に出た者達に十分な仕事があるかと言えばそうではない。非正規雇用の割合は増え続けている。都市、地方の双方にとって、再生産可能な社会になっていないのである。
「東京は住むところじゃないよ。田舎に帰って暮らしたいな」という意見を聞くことがある。都会に疲れたサラリーマンの願望として理解は出来るが、残念ながら今の地方にあなたを食わせていく力はない。地方がそのようなセーフティーネットの役割を果たし得たのは2000年くらいまでではないだろうか。安定した職場の代表と思われている農協や自治体の職員などを見ていても、愛すべき人たちではあるものの、地域をリードしていく存在にはなり得ない。地方分権推進の声とは裏腹に自治力は落ちているように見える。地方では、自分らしく働いて、家族と幸せに暮らせる仕事が誰もに用意されているという考えは即刻捨てた方がいい。街に働きに出て、いざとなったら田舎でのんびり暮らす、という生き方は今の日本ではもはやファンタジーだ。
まずは現実を見よう。宮台真司の言葉を借りれば、「輝かしき未来も、脱出可能な外部もない」。目の前の小さな生産性の向上に皆が前向きに取り組むしかない。それは、腹さえくくってしまえば、やりがいがあって案外面白い仕事だ。
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