仮面を外せ、不確定な己を語れ
人は多くの場合、仮面をかぶって生きています。職場では仕事用の仮面、家では家族用の仮面。いい上司であろう、いい父親であろうという思いから、最初は仮面を自由に付けたり外したりしているつもりが、気づくと仮面が顔に張り付いて取れなくなっている。皮膚と仮面の境目すら分からなくなってしまう。そんなこともあります。
キャリアコンサルタントの小杉俊哉先生とお会いした際、そんな仮面を脱ぐ研修の話を伺いました。当時42歳の先生は、翌日からの出張のことで頭がいっぱいで、研修プログラムを「無難にやっつけて」いたそうです。すると、参加者のひとりだったアメリカ人女性から、突然、「あなたは全然セクシーじゃない」と言われたそうです。「なぜ?」と問うと、「さっきから、あなたはこの場にいない。心はここにないじゃないか」と。頭をガーンと殴られたような衝撃だったそうです。
もともと仮面をかぶるのが苦手な僕は、サラリーマン時代に、相手に合わせた薄っぺらい会話を交わすのがとても苦手でした。フリーになってから、いつも素直な自分でいられるのがとても楽なのを実感しました。それは周りから見ればワガママということですが、ワガママを貫いていれば嫌いな人は向こうから寄りつかなくなるので、いつも素直さを保てます。
一方で、混乱していたり、「こう振る舞わなくてはならない」という思考に捕らわれすぎると、素直な自分が引っ込み、いつにまにか仮面をかぶって生きざるを得ない状況に追い込まれてしまいます。そんな仮面から発せられるのは、スラスラ出てきても、死んだ言葉。そういう人と話していても、情報交換にはなっても、琴線に触れるもの何もはありません。もちろん、自分もそんな状況に陥ることがあります。
でも、僕はそんな生き方はしたくないし、そんな人たちと仕事をしたいとは思いません。危なっかしくても、定まっていなくても、仮面を外し、裸の己をぶつけてくる人。誰かに言われたから来たのではなく、自分の足でここに立っている人。自分もそういう人でありたいし、そういう人たちとだけ、仕事をしていきたいのです。
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