帝人テクノーラ事業OB会
僕は94年から98年半ばまで4年半だけサラリーマンをしている。帝人で工業用の高機能アラミド繊維「テクノーラ」の営業をやっていた。事業化30周年のOB会が開催され、20年も前に会社を離れた僕にもお声がかかったので、大阪まで行ってきた。
僕が入社した94年当時は事業化から10年近く経った時。夢のあるビジネスではあったものの、まだまだ新規事業で、大きな累積赤字を抱えるお荷物的存在だった。僕がまだ在籍していた97年に単年度で黒字化を果たした後、飛躍的に事業が拡大し、今では繊維事業の柱として稼ぎ頭になっている。一方で、90年代にはまだ元気で会社の中心だったポリエステル事業は、縮小の一途を辿っている。黎明期に事業に関わっていた出席者の方々は、当時は肩身の狭い思いもあったろうが、少なくとも気持ちの上ではずいぶん報われているではないだろうか。
テクノーラの生産量は、今では僕が在籍していた頃の4倍近くになっていて、製造原価がずいぶん下がっているようだ。スペック上競合品に対して優位性がある用途を地道に追求した結果、当時のコストでは苦しいビジネスだった分野が事業の柱になっているという話を聞き、感慨深かった。困難な道であっても、ロジカルなアプローチをしていれば、環境が整った時にちゃんと実を結ぶ可能性があるというのは王道であり、関わる人にとって大きな希望だ。難しい時代でも、まっとうなストーリーがちゃんと生きている。
年の離れた方ばかりだし、さすがに僕のことを覚えてくれている人は少ないだろうと思いきや、皆さんが気にかけて下さっていて、恐縮するほどだった。
「苦労しているって聞いてたけど、ようやくうまくいったみたいだな」
と言ってくれた方もいた。
まだ全然です。やっとスタートに立った段階なんです。大きな可能性が見えているのに、まだ踏み出せないでいる臆病な自分を最近特に感じています。でも頑張ろうと思っています。
僕はなぜか、たくさんの方が特別に支えて下さる幸せな人生だと言うことは自覚している。いくら本人が希望したとは言え、新人を赤字事業に配属するというのが会社にとってどういうことだったか、今では少しは分かる。そんな期待を裏切る形で、僕はたった4年半で会社をやめてしまった。それでも、直接恩返しが出来なくても、帝人で学んだことは必ず社会に還元しようと思っている。テクノーラ事業はこれだけのことをやり遂げたのに、農業では出来なかった、では申し訳が立たない。
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